1993年度日本弁護士連合会人権擁護大会シンポジウム
第1分科会 「日本の戦後補償」 基調報告
(省略)
(3) 政治弾圧犠牲者等
① 日本の戦争と治安維持法
治安維持法による弾圧は、国民の思想、身上、信仰の自由に対する侵害及び言論、表現、結社の自由に対する抑圧であるばかりでなく、日本国民の全体をひたすら戦争に向かって進ましめる梃の役割をした。日本の軍国主義的動向に反対する者はもちろん、一切の批判的言動に対して治安維持法は弾圧の武器となった。戦時体制の強化に従い、弾圧の拡大は止まることをしらなかった。その被害者は本人のみならず、親族に及び、その実情を見聞きしている縁故者、近隣者も、同様の圧迫をうけたくなければ口をつむがざるをえなかった。できるだけその関係者に近づくまいというのが、国民の大半の心情であった。治安維持法の弾圧法規は戦争を推進するための恐怖政治の法的武器であった。この意味においては、日本国民全体が治安維持法の被害者であった。
② 戦後と治安維持法
治安維持法は、戦後廃止されたが、それ以上の措置はとられなかった。日本の戦争犯罪を追及した極東国際軍事裁判所条例第5条2項(ハ)には、人道に対する罪が規定されている。ここでは、戦前又は戦時中になされた政治的理由に基づく迫害行為が、行為地における国内法の適用によると否とを問わず犯罪とされている。治安維持法による弾圧は、これに該当しよう。
いわんや拷問、陵虐は当時の日本の刑法によっても禁止されていたのであり、それによって死にいたらしめた場合等は、日本の刑事手続によっても処罰されなければならなかった。それが戦時中はもちろん、戦後においても放置されていたところに、治安維持法等の治安立法による弾圧の被害の深刻性があらわれている。
③ 補償の意義と必要性
治安維持法犠牲者は、日本の軍国主義に抵抗し、戦争に反対した者として、日本国憲法の基本原則からすれば、その行為は高く評価されなければならないものである。この被害者が受けた当時の法律からしても違法となる行為については、日本国憲法の国家賠償規定からすれば、当然補償されなければならない。それが当時の国内法上は適法な行為であったとしても、国内法を超えて強行法規性を有する国際法規である人道に対する罪該当行為として国家に賠償責任が生ずるであろう。しかし、現実にはこの補償はまったく行われていない。憲法前文の趣旨からしても、再考すべきところである。治安維持法等治安立法による弾圧の被害は重大である。他の戦争被害補償に先んじて補償がなさらなければならないのに、それが放置されているところに、日本の戦後補償の歪みが端的に現れているといえよう。
治安維持法によって処罰されたことにより生じた損害で現在も継続しているものとして、恩給の問題がある。公務員で検挙され休職、免官され、戦後に復職した者も、この中間の期間は在職年数に加算されていない。戦争犯罪人として連合国軍に拘束されていた者が有罪判決を受けた時までその期間を算入されていることとの間に大きな相違がある。この問題に対する政府の見解は、治安維持法が悪法であったとしても、当時の法律体系の下では、法であったのであるから、他の法による処置と別の扱いをすることはできないということである(1981年5月15日、衆議院内閣委員会における小熊政府委員の発言)。
このような見解には、憲法的観点が全く欠けているといえる。ドイツではナチス犯罪の被害者が「公務従事のためのナチスの不法行為に対する補償規定法」によって、再就職の保障、昇進の遅れ、年金額の不利等が補われているのと対照的である。
治安維持法被害者は、1968年3月治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟を結成し、治安維持法等の弾圧法規による逮捕、拘禁、取調、規制による精神的、肉体的、物質的損害に対する国の補償の実現をめざして、補償立法の国会請願等の運動を続けているが、その要求の実現は現在は全く見られていない。その会員数は1万1000名であるが、その内直接被害者の平均年齢は80才に達しようとしている。速やかな補償措置の実現が切に望まれるところである。 (以下省略)
日本弁護士連合会編 349ページから351ページ抜粋
『日本の戦後補償-戦争における人権被害の回復を求めて』 日弁連第36回人権擁護大会シンポジウム第1分科会基調報告書