治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟和歌山海南海草支部
2013-08-02T21:36:25+09:00
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「不屈」和歌山海南海草支部版 治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟和歌山海南海草支部web
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お知らせ
不屈海南海草支部版
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ようこそ、「不屈和歌山海南海草支部版」のブログです。
憲法の話題、平和と戦争の話題、暮らしの話題、短歌、俳句、川柳など機関紙「不屈和歌山県版」への海南海草支部会員の投稿記事を中心に掲載しています。
治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟和歌山海南海草支部
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更新は 2013年08月02日です
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治安維持法と現代№22
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2011-11-01T07:27:00+09:00
2011-11-18T07:33:45+09:00
2011-11-18T07:33:45+09:00
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治安維持法と現代
治安維持法と現代 №22 2011秋季号
注文は、和歌山海南海草支部または和歌山県本部へ]]>
歴史の記憶に関する法
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2011-11-01T07:16:00+09:00
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2011-11-18T07:26:47+09:00
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未分類
嵐のなかでたたかいを前進させている
スペインを再び訪ねて
「歴史の記憶に関する法律」のその後と
日本国憲法9条の碑を見る
吉 田 好 一
治安維持法国賠同盟と共催で
私は、本誌「治安維持法と現代」二〇〇八年秋季号に「反ファシズムの集大成 スペイン『歴史の記憶に関する法律」と題する文章を掲載させていただいた。そのなかで、「歴史の記憶に関する法律」(以下、「記憶法」と略)の内容や成立した経過について簡単に書いた(注参照)。
この法律を知ったのは、国連拷問禁止委員であるスペインのマリーニョ・メネンデスさん(カルロスⅢ世大学教授)を通してであった。
二〇〇七年五月、拷問禁止条約第一回日本政府報告書蜜査については、本誌二〇〇七年秋季号に、国際人権活動日本委員会など四団体の「意見」が、二〇〇八年秋季号には、拷問禁止委貝会の「結論と勧告」が掲載されている。改めて本誌編集部のご努力に敬意を表したい。
本文は「記憶法」のだたかいが、その後どうなっているのか、二〇〇九年四月{国際人権活動日本委員会主催}と今年六月一一六日から七月三日まで、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟との共催によるツアーが企画され、二四名が参加した。その内容をお伝えしたい。
「記憶法」の専門家お二人と意見交流会
六月―八日、マドリッドで、一一年前に訪問したときにお匪話になったメネンデスさんと、同僚で「記憶法」の専門家であるラファエル・エスクデロ教授のお二人と意見交流会(下の写真)が行われた。
最初に私から「フランコの内戦・独裁時代における犠牲者の名誉回復のための『記憶法』は日本でも関心が高い。日本の歴代政府は侵略と植民地支配、国内外の弾圧を反省していない。こういう法律をぜひ日本でもつくりたい。東日本大震災での福島第一原発事故は放射能を世界に撒き散らしている。広島・長崎で被爆国となった日本が、いま加害国になっている。原発をなくし、スペインでも進んでいる自然子不ルギーによる発電についても学びたい」と発言しました
メネンデス教授は「ふたたびお会いできて非常に嬉しい。国連の拷問禁止委員をしている。国運に訴えにきた布川事件が無罪を勝ち取った報告は大変うれしく感じている。三月の大震災にお見舞い申し上げる。スペインには八か所の原発があり、サパテロ社会党政権は閉める計画はないが、新しく作る計画もない。ここ数年太陽パネル、風力発電などが急激に伸びている。フランコによる犠牲者の骨を子孫に返す、先祖の名誉を回復するのは非常に難しい」と述べた。
エスクデロ教授は「一九三六年以来フランコにより一四万四千人が合同墓地に葬られている。「記憶法」は政党ではなく市民団体で問題にし社会党が支持して出来た。国民党(右派)は『昔の傷を広げる』と反対している。次回の総選挙でサパテロ政権が負ければ『記憶法』がなくなるかもしれない。フランコ主義の思想は根強く残っている。特に警察や車隊の中に。フランコの墓も残っている。教科書に共和同政府のことが書かれていない」など、「記憶法」に基づくたたかいの前進が、逆流に抗して厳しいものになっていると話された。
ゲルニカ、グランカナリア島に分かれて
代衣団は二九日よりAコース(一三名)、Bコース(九名)の二つに分かれた。
Aコースはスペイン最古の大学の街サラマンカの「歴史の記憶法資料館」を見学。七月一日にはパブロ・ピカソの壁画で有名なゲルニカヘ。一九三七年四月二六日、フランコはヒトラーなどの力を借りて広島・長崎へっながるゲルニカヘの無差別爆撃を行った。ゲルニカ平和博物館(本誌[日本と世界の戦争博物館]参照)を見学し、空爆の被害者である八八歳のルイス・イリオンドさんの体験を聞いた。
私は、1年前のツアーで、四月二六日にゲルニカに行き、追悼式典に参加した。フランコは「爆撃はアカがやった」と宣伝し、フランコが死ぬまでイリオンドさんもそう思っていたという。
Bコースは、マドリッドから1000キロ離れたカナリア諸島のグランカナリア島を訪れた。グランカナリア島で二番目に大きい街、テルデ市を訪問し、市職員の案内で「ヒロシマ・ナガサキ広場」を訪れ、日本国憲法九条がスペイン語で書かれている碑を見学した。日本でもこうした碑はないのではないかと思う。この碑ができたいきさつは、テルデ市がNATO加盟と軍事基地設立に反対し「非核宣言」を行ったたたかいのときに、非核と平和を求める市民のあいだで日本の憲法が話題になり、一九九六年に広場(ヒロシマ・ナガサキ広場)と九条の碑が建設されたということだ。
日本国憲法9条の碑の前で
スペイン法律家たちと日本人との取組みが
また、グランカナリア島では、ラスパルマス大学のカルメロ・ペレス教授(二年前にも『記憶法』に関ったメンバーということでお会いしている)のお世話で、平和・人権の活動をしているNGO八団体との意見交流会を持つことができた。
ベレス教授は「カナリア諸島にも市民戦争時の三〇〇〇人の遺体が埋められている。『記憶法』の条文は不十分で、日本の憲法のような明確な規定がほしい。スペイン政府の対応も不ト分である」と語り、平和への権利国連宣言をつくるためにスペイン国際人権法協会(ベレスさんはこの協会の事務局長)が日本の学者・法律家とも協力していることを話された。「平和への権利宣言」は、日本国憲法九条だけでなく、憲法前文の平和的生存権を高く評価し、それを盛り込んだ国運宣言をするよう人権理事会への取り組みを行っている。
ペレス教授から日本の書籍のカバー・をコピーしたチラシを渡された。「平和への権利を世界に」(かもがわ出版)笹本潤(弁護士、国際民主法律家協会事務岫長)・前田朗(国際人権活動日本委員会、東京造形大学教授)編著の本である。お二人ともジュネーブで活躍している。八月の人権理事会諮問委員会の前に、ジュネーブで「人民の平和に関する専門家協議会」を開催し、笹本さん、前田さんと塩川頼男さんが事務局を担当したということである。諮問委員会では、前田さんと笹本さんが、このテーマで発言した。
また、今年の一二月には、「平和への権利を世界に」国連宜言の実施をめざす運動の一環として、スペイン国際人権法協会の会長、事務局長が来日する予定である。
「記憶法」は真実を探求するたたかい
参加したNGOはフ牛和と人権カナリア諸島文化区域の会」「パレスチナ人社会のための女性の会」「難民援助のためのスペイン委員会」「歴史の記憶の会」「『私は女性』の会」など八団体九人で、それぞれの活動の紹介があった。最初に発言した「歴史の記憶の会」のイサベルさんは、「父親が市民戦争で処刑された。テルデの火山の火口に共産党員の遺体が放り込まれた。「記憶法」では遺体を掘り出す許可がでない。行方不明者のリストが不十分である。『歴史の記憶法』のたたかいは真実を探求するたたかいである」と非常に感動的な発言をした。カルメンさんは、父親が社会党・人民戦線に関与し、二〇年の実刑を受けた。自分もフランコ政権に迫害され、四○年前にカナリア諸島に逃げてきた。バスケスさんも弾圧された家族だ。叔父さんは迫害されフランスヘ亡命したが、フランスもナチスの占領下でドイツの捕虜となった。現在も帰国していない。バスケスさん自身は一九五七年に非合法下の共産党員になり、一九七〇年デンマークに亡命。フランコが死亡してからスペインに戻ることができた。
続くNGOの方々の発言も「記憶法」にもとづくたたかいが、いかに困難なものかを語ってくれた。司法も保守的であると。しかし、「記憶法」は無駄、無効ではない、という力強い発言が最後にあった。
近代史の苦しみの中から
『記憶法』に関する二度のツアーで感じたことはこの法律がスペインの近代史の苫しみの中から生まれたものであり、一般市民の力で誕生させるまでは難産だったと聞いている。野党国民党はもとより、この法律を成立させた社会党の中にも「過去の問題を掘り返さなくても」という意見があったりする。次の総選挙でサパテロ社会党政権が倒れればづ記憶法』もどうなるかわからないという心配も聞く。法律に不ト分な点があるとはいえ、治安維持法や横浜~件やレッドーパージなどの大弾圧や侵略と植民地支配について明確な反省も謝罪も補償もない日本にくらべれば『記憶法』を誕生させたスペインの社会は立派である。フランコ派の残党や右翼、保守勢力からはげしい攻撃を受けている中で、『記憶法』の精神をけハ体化し、前進させようとたたかっている学費、弁護士、NGOの活動家と交流できたことは非常に有意義であった。
「日本でも『記憶法』を」という思いを強くし、これからも引き続き「記憶法」を学び、研究していきたい。
(よしだ こういち・国際人権活動日本委員会代表委員)
(注)
歴史の記憶に関する法律
スペインでは、一九三六年に選挙で成立した民主主義的な共和政府を打倒するために、ファシストのフランコ将軍が、ドイツのヒトラーやイタリアのムッソリーニの力を借りて反乱軍を蜂起させ、一九三九年に終結するまで内戦状態となり、以後一九七五年にフランコが死去するまでので六年間、独裁体制が続いた。この法律は、スペイン内戦や独裁体制の間に、政治的・思想的な理由により迫害された人に対し、その刑罰・人権侵害の不当性を宣言し、名誉回復をする権利を認め、犠牲者、遺族に年金・賠償金を国が支給。犠牲者の発見、遺体の発掘を国が支援するとしている。スペイン内戦に共和政府側の義勇兵として参加した外国人にもスペイン国籍取得の権利を認め、その場合、賠償などが適用される。独裁政権を賛美する公共の記念物の撤去、資料センター設置などを定めている。
絵手紙 (「不屈」和歌山版 2011年5月15日号より)
「治安維持法と現代」 2011年秋季号 112~117頁
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無言館とちひろ美術館
http://kainan.exblog.jp/15203948/
2011-08-04T16:51:00+09:00
2011-08-04T07:57:41+09:00
2011-07-31T16:51:08+09:00
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不屈ツアー
2011年度「不屈」バスツアー
◇とき:10月12日(水)
~13日(木)
◇宿泊:鹿教湯(かけゆ)温泉・ニューかどや
(TEL:0268-44-2016)
戦場に散った画学生たちの絵を展示する無言館。「世界中のこどもに平和としあわせを」と子どもや花を描いたいわさきちひろの美術館。信州の山宣記念碑も訪れます。反戦平和への決意を固め、治安維持法犠牲者を追悼するとともに、深まる信州の秋を満喫し、英気を養いましょう。
無言館
長野県上田市、周りを山々に囲まれた田園地帯の丘の上に、ひっそりとたたずんでいる小さな美術館「無言館」。
静まりかえった「無言館」の扉を押すと、志を果たすことなく戦場に散った画学生たちの声が聞こえてきます。
絵描きになりたいと願いながら、一枚の画布、一冊のスケッチ帖に「生命の証」をきざみこんで戦地に発った若者たち。
「無言館」館主窪島誠一郎さんは、その画学生たちの遺した作品、遺品を全国各地に訪ね、収集しました。
安曇野ちひろ美術館
青春時代に戦争を体験したちひろは、「世界中のこどもみんなに平和と幸せを」ということばを残しています。
ちひろが描いた子どもや花は、今もいのちの輝き、平和の大切さを語り続けています。
97年にオープンした安曇野ちひろ美術館は多くの人が訪れ、いわさきちひろの代表作のほか、初期の素描、水彩、信州との深い結びつきを示す作品など、約80点が展示され、ちひろの画業の全体像に触れることができます。
山本宣治・高倉テル記念碑
29年3月1日、高倉テルの義兄弟にあたる山本宣治を招き講演会が行われました。この講演の4日後の3月5日、山本宣治は治安維持法改悪承認の議会にただ1人反対演説をすべく上京しましたが、その夜右翼に暗殺されました。抗議の記念碑が高倉テルの借家の庭に建立されました。
◇申し込み:各支部事務局長
または和歌山県本部(TEL/FAX:073-422-7076)
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講演会のお知らせ
http://kainan.exblog.jp/14287027/
2011-02-20T10:08:00+09:00
2011-02-22T00:40:42+09:00
2011-02-22T00:18:58+09:00
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お知らせ
(講演会の概要)
日程 2011年2月25日(金) 午後6時30分~
会場 和歌山市勤労者総合センター6階文化ホール=(地図)
演題 「日本の安全保障と日米同盟再考
脅威を生まない努力と憲法9条」
講師 西 晃(にし・あきら)弁護士(大阪弁護士会)
主催 憲法9条を守る和歌山弁護士の会
入場無料、予約不要
(開催趣旨/チラシから引用)
中国や北朝鮮を「脅威」とみなし、「動的防衛力の構築」を目指す「防衛計画の大綱」(2010年12月)を策定して、ひたすら日米同盟の深化を強調する民主党政権。私たちが真に目指すべき我が国の安全保障の姿と憲法9条の関係につき、共に学びたいと思います。
西 晃 弁護士
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不屈 主な記事
http://kainan.exblog.jp/13123365/
2010-05-15T12:35:00+09:00
2010-08-22T13:16:36+09:00
2010-08-22T12:36:55+09:00
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不屈中央版№431
2010.5.15 №431
●沖縄の心を心に 参院選で戦後補償の前進を………………
●4月中央常任理事会開く………………………………………
●水車 蟹工船・小林多喜二>………………………………………
●3・15、4・16弾圧を忘れるなー各地の集会……………
●顕彰碑/勝又松太郎の墓碑……………………………………
●時の焦点/NPT再検討会議…………………………………
●抵抗の群像/たたかう河崎治さん……………………………
●同盟歌壇/碓田のぼる選………………………………………
●「不屈」地方版より/女性部の活動…………………………]]>
沖縄の心 戦後補償
http://kainan.exblog.jp/13123350/
2010-05-15T12:32:00+09:00
2010-08-22T12:34:12+09:00
2010-08-22T12:34:12+09:00
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不屈中央版№431
参院選で戦後補償の前進を
葉桜に風が薫る季節なのに、くり返す寒波の襲来。くれぐれもお体にご留意ください。同盟運動にとっては歴史と伝統を受け継ぐ国会請願行動の時期。国民的には、沖縄普天間基地撤去をめぐって全国的に湧き立ち、五〇年前のあの安保大闘争が想起されます。そして国際的には、海の向こうでいよいよ核兵器のない世界をめざして「NPT再検討会議」が進行中です。若い方がたをふくめ、とかく老躯に鞭打っての署名運動、ご苦労さまでした。
通常国会終了後はいよいよ参議院選挙。奴隷制度時代にさかのぼってのアメリカの反省、スペインの「歴史の記憶法」、オーストラリアの先住民抑圧政策の謝罪など、いずれも政権交代を機に実現しています。治安維持法犠牲者の名誉回復はじめ、戦後補償問題の前進に絶好のチャンスが目前です。
米軍普天間基地の県内移設に反対して開かれた9万人の県民大会(4月25日沖縄県読谷村)
2010年5月15日 不屈 №431]]>
中央常任理事会
http://kainan.exblog.jp/13123345/
2010-05-15T12:29:00+09:00
2010-08-22T13:08:54+09:00
2010-08-22T12:32:18+09:00
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不屈中央版№431
参院選で同盟要求実現をめざす
2010年4月中央常任理事会
中央常任理事会が4月10日、全労連会館で開かれ、目前に迫った国会請願行動の成功と、民主党を中心とする新政権のもとで同盟の要求実現活動を前進させるとともに、来るべき参院選で要求実現勢力の前進めざし全力をあげることを意思統一しました。
柳河瀬精会長が開会あいさつを兼ねて、新政権のもとで同盟活動を発展させようと別項の問題を提起。近江谷昭二郎副会長を議長に選出した後、針谷宏一事務局長が、情勢の特徴と当面の同盟の任務について提案し17人が発言、国会請願の成功を確認し合いました。
Ⅰ、情勢の特徴と同盟の任務
1、政局の動向
鳩山政権は、普天間基地問題で迷走。沖縄県民と連帯し、たたかいを発展させる。子ども手当、高校授業料無料化など、部分的には前進面も。
後期高齢者医療制度廃止先送り、労働者派遣法は財界に屈し、国民の怒りが広がっている。
来るべき参院選で要求実現勢力の前進をめざす。
2、人権問題
横浜事件で刑事補償が決定。堀越ビラ弾圧事件で東京高裁が逆転無罪判決、検察が控訴。たたかいを発展させる。
3、同盟活動
各地で多喜二祭や、3・15記念などの取り組みが広がり、これと結んで署名活動も前進している。
Ⅱ、当面の活動方針
1、国会請願署名
4月1日現在、全国的には39・5%。60%超は10県(青森、岩手、秋田、山形、千葉、岐阜、鳥取、岡山、高知)、40%台10道県(北海道、福島、山梨、長野、新潟、富山、兵庫、島根、徳島、愛媛)。
5月13日までに目標突破のため全会員の総力を挙げた取り組みが必要。各県は目標をやりきる支部への指導・援助を強める。全会員へあと5筆、10筆を呼びかける。
2、犠牲者の調査・発掘名簿作成
現在13県が提出。全県・支部から中央へ集中を。
3、全地方議会へ請願・陳情を
宮崎・門川町で3月採択。地方議会も変化、議会の意見書は国会・政府を動かす力となる。
4、犠牲者を顕彰する活動
諸活動と結んで映画「鶴彬こころの軌跡」上映活動に取り組む。
5、支部を基礎にした取り組み
4月1日現在の会員1万4609人。大会以後の増が24県66人。
6、国際活動(略)
討論では、支部を基礎にした活動の重要性、女性部活動の強化、新政権のもと署名運動を発展させるにも有権者比1%目標の重要性が提起され、国会請願では、文字通り全国会議員に働きかけることを確認しました。
2010年5月15日 不屈 №431]]>
蟹工船・小林多喜二
http://kainan.exblog.jp/13123333/
2010-05-15T12:26:00+09:00
2010-08-22T12:29:15+09:00
2010-08-22T12:29:15+09:00
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不屈中央版№431
NHKの歴史秘話ヒストリアで二月に放送された「蟹工船・小林多喜二のメッセージ」の反響が続いています。久しぶりに会った友人が興奮気味に語ります。特に熱を込めたのは国家テロリズムへの怒りです▼当時の新聞は多喜二の死を「心臓麻痺」と報じます。しかし、テレビ画面に映し出されたのは特高による拷問・虐殺の実相でした。「おまえ達は殺してよいことになっている」と、裁判にかける前に八〇名余が密室による蛮行で虐殺されたと言われますが、消息不明もありその実態は明らかではありません▼戦後、治安維持法は廃止され「刑の言い渡しをうけざりしものと見做す」として受刑者は解放されたものの、虐殺された者に対しては何の処置もとられず、一切の音沙汰がないまま今日に至っているのです▼韓国では日本植民地時代の治安維持法犠牲者は、愛国者として表彰され遺族に年金が支給されています。真の愛国者の名誉回復を求めて同盟の運動はますます重要です。(池)
2010年5月15日 不屈 №431]]>
運動を発展させよう
http://kainan.exblog.jp/13123324/
2010-05-15T12:24:00+09:00
2010-08-22T13:44:52+09:00
2010-08-22T12:26:27+09:00
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不屈中央版№431
柳河瀬精
1、「戦争しない国」を守り続ける立場から民主党政権を考える
・民主党政権の安保防衛問題の対応は自民党路線の踏襲が色濃く出始めている。
・普天間基地撤去問題では「迷走」を続けていると国民の目に映っている。
・3月9日、日米間の密約問題に関する「有識者委員会」「報告書」を政府が発表したが、きわめてあいまいな内容に多くの国民が唖然とした。各種委員会は、これまでも自民党と一緒に安保防衛問題に取り組んだメンバーもおり注意。
2、新しい政治状況のもとで同盟運動を発展させよう
①侵略戦争への謝罪の問題。鳩山首相は「東アジア共同体」を提唱したが、胡中国主席との会談では「前向きに対処」をとしているが、「歴史認識の問題がある」と軽くあしらわれた。
②植民地支配謝罪の問題。今年は韓国強制併合100年。岡田外相は「韓国の人々にとって国を奪われ、民族の誇りを傷つけられた事件」と発言。日本に強制徴用された朝鮮人労働者は約100万人にのぼる。この強制連行者を雇用した日本の企業は未払い賃金を政府に供託した。しかし朝鮮人労働者の手元にはとどいていない。民主党政権は、その約10万人分の副本を引き渡すとしている。
③治安維持法の問題は同盟が切り拓かなければならない。一九四五年に治安維持法が廃止されたとき、刑を受けていた生存者は、其の刑は「なかったものとみなす」とされた。しかし虐殺され獄死した者はそのまま打ち捨てられたままになっている。原点に立ち同盟運動を発展させよう。(本部会長)
2010年5月15日 不屈 №431]]>
戦後補償解決決断せよ
http://kainan.exblog.jp/13123311/
2010-05-15T12:23:00+09:00
2010-08-22T12:24:33+09:00
2010-08-22T12:24:33+09:00
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不屈中央版№431
戦後補償解決に政治決断せよ
近江谷昭二郎
戦後の国際秩序は、二度と戦争を許さないという決意のうえに成り立っている。ドイツ、イタリアも侵略戦争への反省のうえに成り立っている。自民党政権の退場で日本政治が新しい時期を迎えているいま、国は戦後補償解決の政治的決断をするときである。
▽「慰安婦」問題解決の立法化要求と大衆行動の前進。
▽中国、韓国の強制連行・強制労働事件の全面的な政治的解決へ国・企業は和解せよ。
▽中国遺棄毒ガス被害の国による謝罪・賠償が求められている。
▽シベリア抑留問題解決へ今国会での法案成立が求められている。
▽空襲被害者救済も東京地裁は立法解決とすべきとしている。
ここから、戦後補償をめぐる闘いの何を学ぶべきかを考える。
わが国の戦後補償問題は、長い年月をかけての裁判や大衆的要請行動などを通じて、今日ではその多くが立法化など政治的解決を求めるところに到達している。
ここからの教訓として、①戦後補償問題は、補償の問題であると同時に、補償に込められるべき政府の戦争責任を問う問題だということである。政府がこれに正面から向き合おうとしてこない根底には、戦争を侵略戦争と認めない無反省から国家の責任を避けてきた。一連の補償問題は国家による人道的犯罪であり、戦争責任を鋭く問うている問題である。
第二は、国に戦争被害事実を認めさせ、国家責任による補償実現には長期の粘り強い世論の結集が不可欠であること。
第三は、国民が自民党政権退場の審判を下し、日本政治に生まれた新しい情勢をとらえ、政府・国会議員等への働きかけを機敏に果敢に展開していくことである。
戦後補償の一環である「治安維持法犠牲者国家賠償法」の立法化を求める同盟運動も、戦後補償要求の闘いの到達と教訓を検討し、新しい情勢の下での可能性の追求が求められている。(本部副会長)
2010年5月15日 不屈 №431]]>
3.15 4.16弾圧
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2010-05-15T12:21:00+09:00
2010-08-22T12:54:26+09:00
2010-08-22T12:22:56+09:00
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不屈中央版№431
各地で記念集会開かれる
神山監督講演ほか3ヵ所で開く 北海道
北海道の3・15弾圧記念の集いは室蘭、札幌、岩見沢、旭川の四市で行われ、あわせて220人が参加しました。室蘭では12日、岐阜の竹中彰元師を映像化したDVD「戦争は罪悪であるー仏教者の名誉回復から」を観賞し、フリートーキングをしました。
札幌は14日、映画「鶴彬ーこころの軌跡」を見、この映画を作った神山征二郎監督の講演を聞きました。「鶴彬の堅固な志、社会の状況認識の深く確かなことに瞠目、多喜二といい鶴彬といい、この国にこのような若き英雄たちがいたことを忘れてはならない」との感想がありました。
岩見沢では15日、映画「時代を撃て・多喜二」を上映、ふだんの集会に見えない人も多く「大変感動」の声が寄せられました。
旭川も15日、旭川文学資料館の沓澤章俊調査員が講演、旭川出身のプロレタリア詩人今野大力の作品と生涯を語りました。
「反戦川柳人鶴彬」の講演会 青森県
3・15、4・16大弾圧記念集会は4月17日、同盟岩手県本部牛山靖夫事務局長を講師に招き、演題ー反戦川柳人「鶴彬」を語るーとして開催、45名参加しました。
講演に先立ち「『聳ゆるマスト』ー反戦兵士阪口喜一郎が残したもの」(DVD)が上映されました。
講演では、治安維持法下、川柳を武器に軍隊内でも反戦のたたかいいを不屈に進め、弾圧のなかで29歳の命を終わらせ、故郷を遠く東北盛岡のお墓に眠ることになった生涯が詳細に語られました。
弘前、下北支部からも参加し、「語り継いでいくことが大事という意味がよくわかった」「あの時代の活動家は命がけで活動していたんだ」などの感想。懇親会で一人入会しました。
多彩な3・15、4・16集会計画 新潟県
「3・15、4・16事件を語り継ぐ集い」を4月24 日、新潟市で行う予定です。集いのメインは、写真映像と音楽が入る①朗読劇「小林多喜二死す」②相沢寛新潟県同盟員による講演「治安維持法の復活を許してはならない」③加藤栄二県同盟員による講演「原菊枝(治安維持法犠牲者、講演者の発掘で顕彰)の『女子党員獄中記』について」④山本宣治の直筆「唯生唯戦」の展示と山本宣治がこの書を書くに至った経緯などのお話(直筆所持者・石田和夫氏)⑤新潟県内の治安維持法犠牲者を偲ぶお話(佐藤良夫新潟県同盟員)とその人々の写真と活動を記したパネルを二十枚ほど展示。など多彩な催しです。
専制政治への道を許すな 岐阜県
3月14日午後、岐阜市で開催した第11回3・15大弾圧記念学習会は65名の参加者があり、中央本部副会長増本一彦氏から「戦争は弾圧と手をつないでやってくるー治安維持法と横浜事件」のお話を聞きました。
講演は、2月4日の横浜地裁による実質無罪、刑事補償の支払い決定を出した後だけに、時宜を得た有意義な講演でした。
増本氏は、横浜事件が特高警察のねつ造による大規模な言論弾圧である。戦後の再審請求にも完全無罪を避けて「免訴」としてきたが、十数年に及ぶ犠牲者たちの苦闘と支援の努力で権力犯罪ー暗黒裁判が明らかにされた。これを機に人道に反する治安維持法の実態と、今も続くビラ弾圧など反共主義からはじまる言論・表現の自由弾圧=専制政治への危険を打ち破る国会請願運動を強調されました。
2010年5月15日 不屈 №431]]>
探訪 勝又松太郎墓碑
http://kainan.exblog.jp/13123292/
2010-05-15T12:19:00+09:00
2010-08-22T12:20:44+09:00
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hukutsu-kainan
不屈中央版№431
非転向を貫いた 勝又松太郎の墓碑
昨年11月20日、同盟員で日本共産党五条市議会議員大谷龍雄氏とともに、五条市中之町在住の刃谷敏明氏の案内で、金剛山の南斜面に立地する西山墓地にある勝又松太郎のお墓にお参りすることができました。国賠同盟奈良県本部として、治安維持法犠牲者の事績を調査・研究・顕彰する一貫として実施したものです。
勝又は農民運動の活動家。3・15事件で逮捕・起訴され、刑期は2年でした。また、1932年の8・30弾圧事件でも検挙され、起訴は免れたが県下各署をたらいまわしされたと伝えられており、1938年11月10日、37歳で病死しました。
「春日庄次郎外98名治安維持法違反被告事件予審終結決定書」には、「本籍、奈良県宇智郡牧野村大字中之一六一番地、住所、同上、旧全日本無産青年同盟奈良県支部執行委員、勝又松太郎、明治32年12月生」(『現代史資料』みすず書房)と記されています。
昨年秋、大谷氏が勝又の縁故者である刃谷敏明氏を訪ねあて、お墓の所在を確認していたものです。
墓参の後、刃谷氏は、「私の祖母が勝又家の出です。長兄・松太郎とともに眠る亀次郎は次男の弟です。この墓石は三男の弟寛次朗が建てたものです」と語っておられました。
奈良県本部 田辺実
2010年5月15日 不屈 №431]]>
NPT再検討会議
http://kainan.exblog.jp/13123285/
2010-05-15T12:17:00+09:00
2010-08-22T12:18:49+09:00
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hukutsu-kainan
不屈中央版№431
いまたけなわの「核不拡散条約(NPT)再検討会議」。1970年から25年期限ではじめられたNPT。当初からも1995年無期限延長をアメリカが強行した際も、当時の核保有5カ国の独占優位の差別的条約であり、核兵器廃絶に直結するものではないとして、国際世論は否定的でした。
すべてにわたってアメリカいいなりの日本政府も、調印はしたものの6年間も批准を回避しつづけました。もっとも日本政府の真意は、被爆国として核兵器廃絶を主張する立場ではなく、将来の核兵器開発・保有の道を閉ざすものとしての好核的な、日本核武装の魂胆からでした。しかし核兵器廃絶をめざして、あらゆる機会を活用しようとした国際世論と非同盟諸国や、同盟国も含むアジェンダ連合の、毎年の国連総会や5年ごとのこのNPT再検討会議の場での粘りづよい努力により、核不拡散にとどまらず核廃絶を指向する國際討議の場に、NPT再検討会議を昇華させたのです。
今日核問題を専門的に協議する公的な国際会議がNPT再検討会議以外ない現実的条件の中で、国際世論は、核保有国への核軍縮への明確な努力を求めたのです。
この道理ある国際世論は一度は実を結んで2000年の本会議では核保有国の核軍縮への明確な努力の実行の決議がアメリカをふくめ採択されました。しかしこの世界の貴重な歴史的到達点も、ブッシュ政権の核兵器先制使用政策と國際テロとの戦争政策により、2005年の本会議で、反古(ほご)にされてしまったのです。
あれから5年目。核兵器のない世界を唱えたオバマ政権にとって試金石のNPT会議。65億人類の死活的課題として、「核兵器廃絶国際条約の締結」と「2万数千発の核兵器を廃絶する政治的、工学的日程」を専門的に論議する国際機関や國際会議設定の採択が期待されます。(元)
2010年5月15日 不屈 №431]]>
抵抗の群像 河崎治
http://kainan.exblog.jp/13123279/
2010-05-15T12:15:00+09:00
2010-08-22T12:16:43+09:00
2010-08-22T12:16:43+09:00
hukutsu-kainan
不屈中央版№431
戦前の検事が戦後も取り調べ
たたかう河崎治さん
河崎治(はる)さんは1913年、父が横浜正金銀行の最初の勤務地の長崎で生まれました。その後転勤で大連に渡り、さらに転勤して黄河の済南市の日本人小学校、山東半島の青島市の女学校へ、そして東京の津田英学塾に入りました。そこで仲の良い友人から、大学生たちが勉強会をしているからと誘われ、2、3回参加しました。ところが治さんが思っていた文学に関する勉強会ではなくて、世の中の仕組みや、なぜお金持ちや貧乏人がいるのだろうかというような勉強会でした。
3月の春休み、突然、麹町署に連れていかれ、勉強会の大学生たちの名前など聞かれたのです。治さんは何も知りませんでしたから知らない、知らないと言っていました。すると手の指の間に鉛筆を挟んで絞めつけたり、椅子に座らせて男ども2、3人が靴のかかとで蹴り、治さんは膝が腫れあがってしまいました。
それでも10日くらいで帰されました。新学期が始まる頃、治さんはだんだん勉強会に魅かれるようになり、「経済学講座」とか「空想から科学へ」などを勉強して、だんだん世の中の仕組みがわかってきました。3年目の春、新学期が始まりましたが学校へは行かず、津田で国語や作文を教えていた河崎ナツ先生のお宅に泊めてもらい、工場前のビラまきや署名、同志間の連絡などの活動をしました。メーデーの時など、目の前で何人もの人が検束されていきました。そのうち、治さんは共産青年同盟関係の女性と連絡中にまた逮捕され、警察では早速「メガネを取れ」と言って殴られ、またいつもの足蹴りでした。亀戸署など何度かたらい回しされました。その頃、神戸の実家に退学届が届いたため、とうとう治さんは実家に連れ戻されました。
当時は職業婦人は蔑視されたものでしたが、なんとか手に職をつけて経済的自立をしようと、洋裁店に2ヵ月ほど通いました。ところがまた逮捕です。その時は髪の毛をつかんで床上に引き回すやら、また例の足蹴りでした。「その時ほど悔しい思いをしたことはなかった」と治さんは語っています。
その後、河崎寛康さん(後に同盟県本部会長)と結婚し、夫が勤務していた長岡の津上製作所の社宅に住んでいました。
1943年9月1日午前4時、5、6人の男たちが逮捕状をつきつけて夫を連れ去り、『大地』とか『風と共に去りぬ』など本箱から持って行きました。英語版『共産党宣言』や津田の時の英語版副読本などは置いてゆきました。
2ヵ月ほどは夫がどこへ連れて行かれたか全くわかりませんでしたが、夫の同房の男性がメモを届けてくれ、柏崎署にいることがわかりました。翌年8月になって初めて新潟の刑務所で夫と面会が出来ましたが、痩せこけた丸坊主の父を見た次女は、何もわからず泣いていました。終戦の年の公判で執行猶予なしの懲役4年で下獄の日を待つ身となりました。
終戦後、夫は日本共産党の長岡地区責任者として飛びまわっていました。
1950年、朝鮮戦争、レッド・パージ、「アカハタ」紙発禁というなかで、後継紙といわれた「平和の声」に警察の手入れが入り、自宅にいた共産党員2人と共に治さんも逮捕勾留されました。その時の取調べの検事が、なんと戦前に治さんを取調べた鬼検事と言われた小島という男だったのです。
治安維持法は立派に生きていたのです。治さんは洋裁の内職をしていましたが、その下請けの女性たちが、「このままでは生活できない」と交渉し、釈放させました。
(同盟新潟県本部発行『三人の女性の話』より要約 編集部)
2010年5月15日 不屈 №431]]>
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